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父の話。

2006年09月02日
皆様、ご無沙汰しております。
実は8月8日、父が亡くなりました。
享年68歳、あまりにも突然のことでした。

7月30日晴れ。
自治会の役員をしていた父は、
朝から前日の地区の盆踊り大会の後片付けに出かけました。
そこで急にしんどくなり、一時間もしない内に
帰らせてもらったそうです。
しかし、自宅まであと1分位のところで我慢できなくなり、
知り合いのご近所の家に助けを求めました。
連絡を受けた母も、そのお宅へすぐにかけつけました。
その時点では、父はかなりしんどそうではあるものの、
トイレを借りるのも自分で歩くなど、意識はしっかりしていました。
ただ嘔吐をしたり、いつも元気な父とは明らかに違うので
そのお宅から救急車で病院へ運ばれました。
その病院は普段から母もお世話になっている、
その辺りでは一番大きな病院です。

到着と同時に入口には数人の医師やスタッフたちが待ち構えていて
すぐに父は治療室へ運ばれました。
処置を始めるも、父は何度か部屋を移動させられ、
医師や看護士達が異常にバタバタしています。
そうこうしているうちに、
一人の医師が母に近づいてきて、こう告げました。
「非常に危険な状態です。近くにお住まいの家族は呼んで下さい。」と・・・。
母も何の事だか、わからなかったそうです。

『急性心筋梗塞・・・?』

保険証と財布だけ持って救急車に乗り込んだ母。
たまたま財布に私の家の電話番号のメモが入っていたらしく
公衆電話から電話がかかってきました。

私だってあんなに元気だった父が
“心筋梗塞”なんかで倒れるなんて考えられないし、その上、危篤!?
全く母の冗談にしか聞こえませんでした。
戸惑いながらも、とにかく出かける準備をしていると
その10分後ぐらいに、
次はその病院の医師の携帯から同様の電話があり、
大至急、タクシーで自宅の神戸から大阪へ向かう事にしました。
その間に兄、弟にも連絡をし、
私は約1時間程で病院へ到着しました。

母が待合のテーブル席に一人居るのが見えました。
近づくまでどきどきしました・・・
間近で母の顔を見て、とりあえずはホッとしました。

しばらくして兄一家、叔母が到着。
ようやく担当医らしき人から病状説明が始まる頃、
休日出勤していた夫も駆けつけてくれました。

まず個室に通され、冊子二冊と
治療(手術)経過の画像写真が渡されました。
渡された資料、モニターに映し出される動画を見ながら
状況説明を受けました。

約30分の説明が終わりました。

父は稀に見る、かなり重症の急性心筋梗塞で、
心臓の冠動脈三本の内、二本の根元が詰まっていたという事でした。
最善の処置をし、なんとか一命は取り留めたけれど、
復帰はおろか、この先の生存率はかなり低く、
いつ何が起こってもおかしくない状態と言われました。

同じ心筋梗塞でも軽度であれば
また元気に復活できる事も多々あるそうなのですが
残念な事に父の場合、詰まった場所があまりに最悪でした。

この後、初めて父のいるICUへ案内されたのですが
入院などした事の無い父がどんな状態なのか
正直、見るのは不安でした。

部屋に入ると、
父の体には無数の管が取り付けられていて
ベッドの周りにはモニタ-や機材などが数台置いてありました。
その中には父の心臓の代わりの人工心肺装置もありました。
もちろん父の意識はありません。

とても可愛そうな姿でした。

ショック症状で度々急に目が開いたり、
足がビクッと動いたりするのがとても痛々しく、
見てるのが本当につらかったです。

その日の夕方には遠方から戻った弟とも合流しました。

そして危篤状態が2,3日続いた頃
少し脈を自分で打ち始めたので、
人口心肺装置を取り外してみることになりました。
ところが、取り外す予定だった前夜の具合があまり良くなく
結局、予定日に取り外せませんでした。

人工心肺装置はそれ以降、取り替えるのが精一杯で
それを境に、血圧は下がり、昇圧剤を使うも、
いろんな臓器への合併症から顔や手には黄疸も出始めました。

8月7日朝。
病院へ行くと鹿児島から91歳になる祖母(父の母)、叔父が
到着していました。ICUのガラス越しに見えた祖母は
変わり果てた自分の息子の姿を見て、号泣していました。

この日、主治医からは昇圧剤も効かなくなり
前夜も数回電気ショックを与えるなど、
状態はとても悪いと聞かされます。

8月8日朝、
主治医から実家へ初めて電話がありました。
父に何かあれば連絡があるはずの電話。
非常に危険な状態の為、来て欲しい、という事でした。
私達夫婦も実家へ向かう電車の中、
実家にいた弟からその連絡を受けました。
急遽、行き先を病院へ変更しました。

病院に到着すると、
兄から主治医にとうとう決断を迫られたと聞かされます。
父の血圧がどんどん下がってきていて、
この先、この治療を続けるか、ということ。
まず、これ以上同量(通常の数十倍)の薬の投与を続けても
今以上の浮腫みで見た目が変わるうえ、
すでに敗血症、多臓器不全も合併していて、
おそらく無理な延命をするだけだという事。

もう1つの選択肢は
薬を通常の量に戻し、父の自然の生命力に任せる事。
ただそうすれば、おそらく
あとわずか3~4時間の命だろうと告げられました。

私達も父の様子から
近々この決断を迫られるのだろうとは思っていました。
兄が言うには、
これを母に選択させるのはあまりに酷すぎる、
私達兄弟で決断し、その後母に了解を得よう、と
私も弟もそれに同意しました。
とても辛い選択でしたが、私達は後者を選び
父の持つ生命力に任せる事にしました。

そして母は了解し、兄は主治医にそれを伝えました。

それから3時間が経つ頃、父の血圧は急激に下がり始め、
脈拍、心拍数もどんどん落ち始めます。
ついに、モニターのアラームも
繰り返し鳴り始めました。

そしてほぼ4時間後――
父はこの世を去りました。

病院に運ばれてから10日。
8月8日午後9時35分でした。

私が元気な父と最後に会ったのは6月。
京都の友人に会う為、実家に一泊したのが最後でした。
口うるさいタイプの父がちょっと苦手だった私でしたが
その時は近況報告など少し話したのを覚えています。
いつもと何ら変わらなかったのに。

心筋梗塞は高血圧や糖尿病の人に多いそうです。
父の血糖値が少し高めだという事は聞いていました。
でもそれなりに運動はしていて、
食事にも気をつけているようだったので
さほど気にしていませんでした。
しかし、ずっと高血圧だった事は今回初めて知りました。
昔から自分の健康管理は人一倍しっかりしていた、父。
でも言い出したら聞かない頑固者で
病院でもらった血圧の薬は、いくら母が勧めても
飲むと体がしんどくなるからと、
ほとんど飲んでいなかったそうです。
今更ですが、どうしてもっと真剣に
治療に取り組んでくれなかったのか、残念でなりません。


今頃はあちらで
趣味だった社交ダンスやカラオケを楽しんでいるのでしょうか。
昨年11月に他界したちょま(実家猫)とも会えたかな・・・

仕事を引退した後はそんな趣味以外に、
市の民生委員や老人会などで、人の世話ばかりして――
他にも、近くの池に突然住みついた白鳥の保護に乗り出し、
新聞の記事になった事もあったね。
そして結局、倒れたのもそんな自治会の仕事中で・・・。
そんな事もあってか、通夜・告別式には
色んな方面から予想以上のたくさんの方々に来て頂き、
父の付き合いの広さを初めて知りました。


そして、今、私は殆ど実家で
その後の手続きなど、母の手伝いをしています。
元気を無くしている母が少しでも早く復活できるよう
今しばらく力になろうと思っています。
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Comment
ちゅみさん、そんな重大な出来事があった中、先日はコメントのお返事下さったんですね。
ちゅみさん、まだお父様のことが信じられないでしょう。
心筋梗塞って健康な人でも突然起こったりするそうですね。
私の祖父もそうでした。生まれ故郷へ訪れるバスツアーの帰りにバスの中で眠るように亡くなりました。バックの中に私達へのお土産が入っていたのを見つけた時には本当に悲しかったです。
そんな祖父は私の中では永遠に生き続けているし、私のことをずっと見守ってくれていると思っています。

ちゅみさんの悲しいお気持ち察しますが、お父様はずっとちゅみさんやちゅみさんのご家族のことを見守って下さるでしょう。

お父様は最後の最後まで人に尽くす活動をされたんですね。立派な方だと思います。
沢山の方々と触れ合うことができて、きっと幸せだったと思いますよ。
ちゅみさんのお兄さん弟さんも素敵ですね。
兄弟で団結して家族思いの素敵なご家族だと思いました。
お父様、本当に幸せだったでしょうね。
ちゅみさん早く元気になって下さいね。
ご冥福をお祈り致します。
ちゅみさん、つらい思いをされたんですね。
なんて言葉をおかけしたらいいのか…

私も去年の父の手術があったり、実家や夫の両親が
あちこち身体の不調を訴えるようになったりして、
とても他人事とは思えません
お仕事を引退されたあとも、充実した毎日を過ごされてたんですね
最後まで人に尽くす活動をされて…立派なお父様だったんだなあと思います。

今はおつらいでしょうが、歳月が、ちゅみさんの気持ちを癒していってくれますように
残されたお母様も、早く元気になられるようお祈りしてます
ちゅみさんや、ご兄弟のみなさんがいるんだもの
きっと、元気になられますよ。

ご冥福をお祈り致します。
ちゅみさん、この一ヶ月つらかったでしょうね。

私も7年前に父を亡くしました。退職して、これから母と二人で人生を楽しもうとしていた矢先の癌でした。
余命半年と告げられた後は、笑うことさえいけないことのようにつらくて長い半年でした。
私も父が苦手でよく衝突しましたが、生きていてほしいと何度願ったか・・・
最後の入院は、覚悟ができていたように思います。

でもちゅみさんの場合、突然ですもん。信じられないですよね。すごくつらいですよね。
お父さんのためにいっぱい泣いてあげてください。
親との別れは、泣くことと時間がたつことしか癒されないと実感しました。今でも泣きますよ。
だから、家族でいっぱいいっぱい泣いて悲しんであげてくださいね。
そして、お母さんの力になってあげてください。
私も、しばらく母のそばにいていろいろな手続きの手伝いをしていました。
なんだか似てますね。でも、母はすごくありがたかったようですよ!
家族っていいですね・・・・

またここで元気なちゅみさんに会えるのを楽しみにしています。
お父様のご冥福を心よりお祈りします。
ちゅみさん、このたびは本当になんと申し上げていいのかわからないほど、お辛かったことと思います。

そんな中のブログ。きっとちゅみさんはお父様に似ていらっしゃるのだな…と少し思いました。

だって、顔も知らない私たちのために、辛く苦しい中を誠実に対応してくださるなんて・・・。

どうか、どうか、ちゅみさんやちゅみさんの周りにいらっしゃるみなさまに笑顔が戻る時が来ますように。

そして、お父様のご冥福をこころからお祈り申し上げます。
ご愁傷様です。
言葉が見つかりません・・・。
ただただ、涙が止まりませんでした。
こうして、ブログで綴るのも、お辛いはずなのに、丁寧に書かれていて・・・。
お父様も、きっと読まれていますね。

ちゅみさんや、ご家族の方、身内の方の悲しみは、はかり知れないものがありますが、どうぞ、お身体には気をつけて、皆様で乗り越えて下さい。
そして、また絶対戻ってきて下さいね。
待っています。
お父様、まだお若くていらしたのに…。
心よりお悔やみ申し上げます。

時が経つにつれ、お父様との色々な思い出が甦り
涙のこぼれることもあるのではないでしょうか。
お母様をいたわって気丈に振舞ってらっしゃるのだろうと思うと、胸のふさがる思いです。
お疲れが出ませんように。
ラヴェさん、遅くなってごめんなさい。
心優しいコメントをありがとうございました。
とてもうれしかったですi-241
驚きました――
ラヴェさんのお祖父様も同じだったのですね・・・
お土産のお話、私も思わずジーンとしてしまいました。

まだ実家との往復は続いているのですが
そろそろブログも再開しようと思っています。
その時にはまた、仲良くしてくださいね~☆
みほぽんさん、こんにちは^^
遅くなりましたが、
心温まるコメントありがとうございました。
そうでしたね・・・ブログで拝見しました。
昨年はみほぽんさんも大変でしたものね。
今回私もこんな時期を迎えていたんだなぁ・・・と
つくづく思い知らされた気がします。
元気だからと甘く見ててはいけませんね。

夏休みの鳥取、楽しそうでした!
またブログにもゆっくり遊びに行かせてもらいますね♪
時々登場の杏ちゃんにも
相変わらず、和ませてもらってます^^
yummyyummyさん、励ましのお言葉
ありがとうございます。
そうだったのですね――
癌というのは期間が長くて
心境もまた違ったでしょうが、7年も前ですか・・・
お若かったでしょうに・・。
yummyyummyさんや皆さまに優しいお言葉を頂き、
私も母もたくさん元気をもらいました。
本当に感謝しています。
もう少ししたら
ブログも再開できると思います。
また、遊びにも行かせてもらいますね♪
りなぼんさん、また今回も心温まるコメント
有り難うございました。
自分でも記録を残したかったので
だらだらと書いてしまったのですが
お付き合いさせて、ごめんなさい(>_<)
お陰様で母もだいぶ元気になりました。

世間は三連休でしたが、
りなぼんさんは楽しまれましたかi-189
ここ最近暑くなったり涼しかったり
気候も不安定なので、どうぞお体ご自愛下さいね。
ちよっぺさん、こんにちは!
先日もコメント頂いたのに
たいした返事もできず、ごめんなさいね。
ホント、突然な事でご心配おかけしました。
母も皆様のお言葉でだいぶ元気になったので
またそろそろブログも再開できると思います。

ちよっぺガーデンは
だいぶ、秋の植物が増えましたね!
うらやましく拝見してます~e-266
サトコさん、ご無沙汰しています。
お忙しい中コメント有難うございました。
うれしかったです。
こちらの方は時々息抜き?しながら
やってますので大丈夫です^^
お蔭様で母もだいぶ元気になりました。

耳折れチャン達はその後も大活躍ですね!
DVD化ですか!?すご~いッ!
楽しみにしてます♪
また落ち着きましたら遊びに行かせてもらいますv-22
ちゅみさん、こんばんは。
久しぶりにようやく遊びに来られて、
目にした記事に今、愕然としているところです。
お父様のこと・・・ちゅみさん、とてもつらい想いをされたでしょうね・・・
心からお悔やみ申し上げます。

いちばんの供養というのは、残された人たちが幸せに暮らしていくということだと聞いたことがあります。
一日も早くちゅみさんやご家族の皆様が、幸せで健康な毎日を取り戻すことができますように。
お父様のご冥福をお祈りいたします。
yuyuさん、こんにちはe-420 ご無沙汰してますi-201
返事も遅くなりごめんなさいね。
yuyuさんも大変な時期だというのに
わざわざコメント下さり有難うございました。
とてもうれしかったです・・・
もうすぐあれから二ヶ月経ち、
この間あっという間でしたi-202
こちらはおかげ様で、
周りの方々にも色々助けて頂いたりして
元気にやっています。
ほんとyuyuさんの言う通りですものね!
最近は体調いかがですか?
yuyuさんこそ、お体どうぞご自愛下さいね!!
第二子i-178、楽しみにしています^^♪
ちゅみさん、こんばんは。

昨日は、本当にありがとうございました。
ちゅみさんが下さった温かいコメント、ものすごく感激しました。

長らくご無沙汰してましたので、先ほどから、6月から(私がブログをお休みした頃)のちゅみさんのブログを読ませて頂いていて、初めてお父様の事を知りました。驚きました。。。

ちゅみさん、来るのが遅くてごめんなさい・・・。

お父様、徳の高い方だったのですねぇ。
ちょまちゃんもお父様と一緒だと寂しくないですね、きっと。

ちゅみさんが、お母様思いの優しい女の子で良かったと、お父様はさぞ安心なさった事でしょう。

お父様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

(このコメントをさせて頂く事で、またお辛い記憶が蘇ってしまったら・・・ちゅみさん、失礼がありましたら、どうかお許し下さい!)
emiさん、こんばんは~(^^*
(わざわざ来て頂きありがとうございますi-236

いえいえ、emiさんが帰ってきてくれることを心待ちにしていたのはこちらですから・・・ホント、良かったです^^v-22
父の事も有難うございます。
(長い文章にもかかわらず、お付き合いすみません(>_<))
おそらく母も、そろそろ父のいない生活に慣れてきたと思います。
でも、もう暫く一緒に暮らしていなかった私でさえ、
ふと、(他界した事が)信じられないと思う事があるのですが
四十数年生活を共にした母は、もっとでしょうね。
まぁ徐々にでいいので、旅行に出かけたり
少し遊びすぎるくらい?元気になって欲しいですi-235

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